無の会を紡ぐ人

一人ひとりの想いと実践が重なりあい、無の会というひとつの営みが形づくられていきます。ここでは、その物語を紡ぐ人々をご紹介します。

メンバー

  • 児島徳夫

    1950年会津生まれ、会津育ち。農園の創業者・代表。もともと県立高校で英語教師をやっていたが、地元での森林保護運動をきっかけに、慣行農業の在り方に疑問を持つようになり、全くの素人ながら有機農業の世界へ。教職をできる限り手薄にこなし、「お前は農家か」と周りの先生にツッコミを入れられながらも、30年間手探りで農業を研究。とある講演をきっかけに炭素中心の堆肥の重要性に気がつき、在職中に地域資源を循環させる堆肥システムを構築した。年齢を凌駕したエネルギーと鋭い直観力、無垢で自由な生き様を背中で示す、無の会の創業者。

  • 岡本照正(おかちゃん)

    1991年兵庫生まれ、つくば市育ち。農園の大黒柱で、美味しく、食べた人を健康にする作物を育てることが農業者としてのモチベーションにある。幼少期から超重度の花粉症に苦しみ、たまたま受験日に雨が降ったことで会津大学に進学。体質改善を通して花粉症を治すため、そして戦争反対の意思をデモや言論活動ではない形で示すために、農薬や化学肥料を使わない農業を志す。大学休学中に訪れた無の会に可能性を感じ、2014年から住み込みで修行を始めた。お米・穀物を中心に、あらゆる作業を牽引・指導してくれる、面倒見が良く優しい先輩。根っからの日本酒(純米酒)愛好家。

  • 宇野宏泰

    1993年東京生まれ、中野区育ち。米国の大学を卒業後、経営学者を志して都内のビジネススクールに2年半勤めるも、2019年に独立。2020年春に読んだ福岡正信の「わら一本の革命」、そして海外でも拡がりを見せていた"Regenerative Agriculture"の思想に感銘を受け、環境活成型の農業の道へ。全国30軒の有機栽培農家を巡ったのち、最後に偶然訪れた無の会で衝撃を受け、会津に移住。2021年には大学時代の同級生と共に、若者のための自然・探究教育プロジェクト「KOTOWARI」の立ち上げにも携わる。人の在り方を問う農業のカタチを探究中。

  • 上野拓也

    1993年生まれ。東京都出身。都内の金融系IT企業に3年半勤務。システム開発、運用、プロジェクト管理と、一通りの職務を経験。一定の充実を感じつつも、労働者として携わる仕事のあり方や、都市での脆弱な基盤の上に成り立つ生活に疑問を持ち、休職。その間に出会った無の会のお米と会津の自然に、経験したことのなかった感動を覚え、わずか1週間で退職・移住・就農を決意。2023年1月より無の会に参画し、農業を学びながら、農園経営も担当。自らに十分な給与を支払える農園に成長させるべく、仲間とともに奮闘中。

  • 安田志穂

    会津の北端熱塩加納生まれ、熱塩育ち。高校卒業後、東京でいろいろな会社で実績をあげまくったり、アメリカを旅したり色々した末に実家に戻り、老舗旅館「ふじや」を再興する。無農薬での野菜作りから料理、接客までこなす“若女将”として、オールマイティもオールマイティな働きを笑顔でこなし、果てには可愛いからというだけの理由で、ヤギを3頭と犬を1匹を飼育していた。
    24年3月から無の会に参画し、野菜栽培や料理、広報活動を牽引してくれている。犬は更に1匹増え、なぜか全国のスパルタンレースで活躍中。

  • 大島武生

    1999年東京生まれ。京都の大学の農学部に在学中、現場を知らずに卒業研究を始めることに違和感を抱き、大学を休学して西日本を中心に様々な農家や職人さんの元を手伝いに巡る。復学直前に京都市内の居酒屋で酒を飲んでいたところ、偶然隣に座った人から無の会を紹介され、猛吹雪の夜にふらっと農園を訪ねる。移住の決め手は、美味しいお米と豊かな自然、そして無の会独特の自在に生きる空気感。

    地域のラストサムライ(ジジババ)たちから、知恵や技術をできるだけ受け継ぐべく、町のいろんな集まりに顔を出してたり、地域のお祭り3か所で篠笛を奏でたりしている。
    狩猟や養蜂、山菜・きのこ採りなどを通して、会津の四季の豊かさを満喫中。

  • 齋藤政孝

    マサ齋藤

  • 林田太一

    やっしー

  • 佐藤ななえ

    ななえちゃん


リモートメンバー

会津の外に住みながら定期的に無の会へ通い、共に汗をかく仲間たちです。

  • 中村拓海

    1990年東京生まれ。14歳のときに学校の授業で「消えた年金問題」に触れ、政治や社会などの抽象的なことを学ぶより、お金を増やす実践を学ぶ方が有益だと考えて投資の勉強を開始。20歳のときにインターン先の社長などから合計1,400万円ほど借入れて本格的に資産運用を開始し、その収益で学費や留学費用などを工面。大学3年生のときに休学をしてパキスタンに渡航し、生と死についてあれこれ考える。帰国後は留学生の就職支援や外国人雇用のコンサルティングを行う会社を別で起業し、現在に至る。
    将来アフガニスタンで焼き芋屋さんを開くため、また都市社会に馴染めない人たち向けの共同体を構築するために農業の実践を学習中。

  • 宮川和士

    1977年茨城県生まれ。整体師。
    就労支援や介護の現場に関わる中で、植物や土に触れることが、介護される側だけじゃなく、する側の人たちの表情まで変えていくのを目の当たりにして、「あ、これだ!」と直感。そこから農や転地療法に興味を持ちはじめる。
    気がつけば、自分の地元の自然がまるごと“癒し”の環境だったと改めて実感し、「この環境を使って、もっと人が元気になる場を作れないかな」と思っていたころ、心理療法をしている先輩から無の会を紹介される。
    2024年の秋から会津に通い始め、地域の人たちや自然とつながりながら希望を形にしている、無の会の仲間たちに衝撃を受けると同時に、無の会での暮らしを通して自分自身が思っていた以上に元気になっていくという予想外の体験をする。
    「うわ、オレがやりたかったのこれじゃん…!」と確信し、2025年からは毎週末会津へ通うようになり、リモートメンバーに。無の会と会津からもらう刺激のおかげで、「まさかの青春再来中」。