無来人 ゆりか

まだ畑に雪が残る2月のはじめに、友達と一緒に来てくれたゆりかの寄稿文です。これから就職する2人は、走り回る鶏や、つぎつぎ現れる訪問客との交流を通して、いろいろ感じてくれたみたいです。

作業をいろいろ手伝ってもらえて、とっても助かりました。

IMG20240211081854

私が友人と訪れたのは2月の半ば。農作業が少ない時期だったため、堆肥場を見たり、いちごの間引きや梅の剪定をしたりと少々のお手伝い、あとは山登りや散歩などのんびりと会津を味わわせてもらった。繁忙期はもっと忙しないのだろうと想像する。

無の会にいると、どこか思考停止な自分を突つかれるような感覚があった。

無の会で出逢った人は手を動かしながら色んなことを考えていた。近く迫る食糧難。農家の少なさ。豊かな土造り。無の会の取り組みの輪を広げる策。

梅の剪定一つとっても、どうしたら風通しがよく、日に当たりすくすくと育ち、そしてどんな形に整えたら収穫しやすいか。もちろんある程度セオリーはあるのだろうけれど、自分で考えて試行錯誤してわかるようになっていっている、そんな感じだった。
剪定を教えてくれた鶏飼のおじさんが、切る枝に悩む私に言った。「この枝は要らないって自分がおもったら要らないんだ」と。そうやって実際に手を動かしながら、自分の目で確かめて、時に調べて聞いて考えてまたやってみる。
正解のない事ごとに対して、そんなふうに自分で答えを見つけていく作業が自分には足りない。そんな気がした。

IMG_4690

児島先生をはじめとして、無の会の人たちの思考には圧倒される。幅広く生半可でない知識量、軸のある考え、常に新きを知ろうとするしなやかな姿勢には心を打たれた。
無の会で過ごし、自らの無知や考えの浅さに冷や汗をかく感覚が、東京に帰ったいまも残っている。そして、これまで社会や学校で違和感を覚えたことも、世の中とはそんなものとなぜかスルーできるようになってきた自分にもまた気付かされる。
自分がありたい姿を描いて、もっと自分で手を動かし、どうしたいかを考えていかないとだめだ。会津で感じた、冷や汗が出るほどの焦りをちゃんと心に刻んで生きていきたいし、思い出すためにまたきっと会津を訪れたい。

IMG_4695

話は変わるが、無の会はとにかくご飯がおいしかった。そして、東京にいる時より、食卓に上った一品一品を大切にいただいていた感覚がある。

お米や野菜を育てた人が目の前にいるからか、なんだか背筋が伸びたし、ご近所で見たあの鶏たちが産んだ卵だと思うと、心からありがたく思えた。みそや甘酒が素材も含めて(ほぼ)自家製で、言うならば正体の知れた食べ物であることに、ほっと安心感があった。そしてどれもこれも生き生きしていて、本当に美味しかった。

自分の身体に入るものが、どんな土地でどんな方たちによって作られたものなのか。思いを馳せたら、もっと食が尊く思えて大切にできる気がした。
やっぱり思考停止からちゃんと脱して、考えて、自分の行動を選択していきたい。

Tags:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です