夢来人 秋岡くん(工学を学ぶ大学院生)

6月27日から4泊5日、無の会に滞在してくれた秋岡君が、寄稿文を書いてくれました。

 5日間ありがとうございました!
私にとって無の会で過ごした5日間は驚きの連続でした。

 無の会を訪れたのは六月ももう終わろうかという頃。梅雨もまだ来ていないのに太陽が燦々と照りつける真夏のような日でした。東北はそこそこ涼しいとの思い込みで気温も調べずに来た私はここでまず最初の驚き(ただの準備不足)を感じました。京都駅のその辺のお土産屋で買った茶団子とそばクッキーだけを寄る辺に一抹の不安と、それより遥かに大きな期待とともに人生で初めて会津美里の地を踏みました。

 遠くには町が見え、車に乗ればすぐにお店にいける、という、思っていたよりは都会でしたが、周りが田んぼだらけで緑豊かな環境に、DNAに刻まれた農耕民族の血が喜んでいるのを体中で感じました。まずDNAという抽象的な喜びであったわけですが、すぐにもっと具体的な喜びが訪れました。そう、食事のおいしさです。不思議なことに、食べれば食べるほど、食事の回数を重ねれば重ねるほどにどんどんおいしくなっていくのです。これには驚きました。きっと初めは遠慮してご飯を茶碗一杯で我慢していた人も、そのうち我慢できなくなりおかわりをどうしてもしたい!と思うようになるでしょう。私のように・・・。

 そしてここで語っておかなければいけないのは、無の会はこの遠慮というものが私たちが普段くらしている社会でのそれとは大きく違う空間であるということです。初めて訪れた私にもまるで以前からの知り合いかのように接していただけて本当に嬉しかったです。気遣いをしなければ、と普通は気遣いだけでずいぶんと疲れるものですが2日目3日目には「ずうずうしいからやめないと!」とちょっと思いながらもその辺でころがって昼寝してしまうくらいにはありのままでいられる空間でした。

 この「ありのまま」というのは無の会の一つのキーワードであると思います。自然農法、堆肥による循環型の栽培。そうした自然に逆らわないありのままを追求しているからこそおいしい食べ物を作ることができ、そこにいる人も自然なありのままの笑顔で暮らすことができているのでしょう。これが素晴らしい空間、素晴らしい食べ物が生み出されている秘訣であると感じました。

最終日のちらし寿司

 私は会津という地に幼いころから憧れがあり、今回思い切って一人で行かせていただきましたが本当に行ってよかった!と今しみじみと思います。有機栽培で作られた食べ物の存在はもちろん以前から知っていましたが、今まで意識的に買うようなことはありませんでした。しかし、確かに食べ物が私たちの体をつくる、というのは紛れもない事実なので体にいいものを!といざ有機米や有機野菜を探し始めるとあまり売っていないことに気がつきました。(食事のおいしさが忘れられずあれをもう一度食べたいという本心も・・・)それでもなんとか用意して料理を作りました。大きな期待とともに食べた玉ねぎとじゃがいものスープ。一口目にしてすべてを悟りました。あぁ、料理をする人が上手くないとあの味は再現できないんだなあ、と。

軽トラに堆肥を積んで、イチゴハウスへ

P.S. 農園で一緒に作った玉ねぎ麹が育ってきたのを家で見ると、作った時を思い出せて楽しいです。

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