無来人 下赤くん

大島の大学の後輩2人が、バスを乗り継いで、1週間お手伝いをしに来てくれました。無の会で麹作りやどぶさらい、野菜の定植などいろいろ体験した後は、近所の農家さんのところでネギの種まきをお手伝いしたり、渓流釣りや山菜取りで会津の恵みを満喫したりしていたようです。

今回は下赤(しもあか)くん(写真右)に、寄稿文を書いてもらいましたので、掲載します。

【滞在記】

無の会五日間の訪問は、世界が無限に感じられる体験と、自分をもっと知って深めていきたいと思えるような体験でした。

まず一つ目の体験は二つの方向の気づきから得られたものでした。一つが自分の考えの足りなさに気づく体験、もう一つがこの世の不思議に気づく体験です。前者に関してはメンバーの宇野さんとの対話からでした。私は会津の広大な自然の中、自分を知るものが誰もいない場所で、自分を他人に説明できないことに気付きました。思考の結果や大枠のことは言えるけどその具体的な中身、思考の展開を一から説明できなかったのです。自分はそれを難しいことだからできなくても仕方がないと思っていたし、自分さえ分かっていればアウトプットする必要は無いのではないかと思っていました。しかし、宇野さんに「一から説明できないものはわかっていないだけで、表面しか見れていないんすよ。」と言い切ってもらえたことで、自分が楽な方に逃げるために言い訳をしていたことに気がつけました。

考えてみれば、説明できるほど深めていない考えや思考が、自分の心を構成したり、感情に影響を与えるほど根付いたりする訳もありません。表面だけでわかった気になって色々なものに手を延ばしてしまうから、何も身に付かず中途半端になってしまっているという、自分の最大の問題点を批判してもらえて、変わるきっかけを与えてもらえました。


 二つ目の体験は、例えるなら子供の頃に引き戻してくれるような体験でした。人が選択の分岐で表される樹状の存在であるならば、その間違った分岐を問い直して元に戻らせてくれる、そんな体験です。

自分は進路の分岐を、他方の分岐の意味を知らないまま、社会的成功に近づく方を選んでしまっているのですが、実際に逆の方に進んだ人の話を聞くことで、選択を相対化することができました。

自分は好きなことだけに傾く精神力・考えを持たないので、訪問を経た今でも社会的成功の方へと進みたいという気持ちは無くなりません。しかし、そうでない世界もあるというのを知ることができたのは貴重な体験でした。

そうやって自分の考え・選択の問題点を指摘されても不快にならなかったのは、無の会のメンバーさんたちから人は変われるということを感じたからでした。いわゆる罪を憎んで人を憎まずという雰囲気があったのです。

総じて自分の間違っている部分を自覚し、好きなものを探し、深めていこうと思えた五日間でした!

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