無来人 青羽くん 後編(小説家)

創業以来、無の会には年間を通して、農業関係者に限らず、全国から色々な仕事・活動をしている人が訪れます。現役の高校生から80代のおばあさんまで、皆それぞれの目的を持って会津の地を訪れます。そんな方々が無の会で体感した「リアル」な感覚・想いを語ってもらうのが「無来人」シリーズ。

前編に引き続き、学生小説家の青羽くんによる後編になります。

……………..

無の会で最も印象的だったのは、いわゆる「社会」という概念が希薄だったことだ。

.

もちろん、やっていることは有機栽培であり、持続可能で社会的な営みである。近頃の世界の潮流の中でも喧伝できるものだ。でも無の会にあった「社会」の概念は、僕の思っていた「社会」とは大きく違った。それはあくまで自分たちの生活の延長線上にある。

.

朝に取れた野菜が昼の食卓に並ぶ。収穫した籾が二日後には白米となって茶碗によそわれる。無の会の理念は遥か遠くを見据えているが、その理念はどこまでも自分たちの生活に根差している。自分たちの生活をする中で、よく生きるために必要だと感じたことをする。そんな姿勢が無の会のあり方に結実している。

生きているという感覚が無の会の滞在中にはあった。朝に起きて、作業をして、食事をして、日が暮れた。前夜の飲み会がたたって大きな欠伸をする昼下がりだって、自らの生を刻む感覚が希薄になることはなかった。どんな行動も、自らが生きることに繋がる気がしたし、よりよく生きるための方策に思えた。
それはきっと、この体が自分のことを正しく感じていたからだろう。最も近いのに最も得体の知れない自分のことを、ちゃんと考えて感じようとしていた。行動の始点が周囲ではなく自分の中にあった。僕は僕のために生きていた。

自分のことをちゃんと思う。その感覚をもって手に届く人たちのことを思う。そうやってそれぞれが両手を伸ばして円を描く。円が重なり合って、広い世界が作られていく。もしそんな世界があるとすれば、それは最もしなやかで、タフで、循環し続ける社会なんじゃないだろうか。

僕がよく生きるためにはどうすればいいんだろう。無の会に滞在するうちに、そんなことを考え始めていた。確かに考えていた。思考の車輪が空回りする音がこれまでずっと聞こえていたけど、無の会にいるとき、その音と僕は無縁でいられた。
僕は自分が何も望んでいないのだと思っていた。何かを望む力を失ってしまった、だから何もできないのだ。そんな風に投げやりになっていた。
でも、違うのかもしれないと思うようになった。
考え方を変えた。僕が今、必要としているものは何だろう。そう悩むようになった。それは頭だけで考えて導くものじゃない。この感覚が告げるものだ。

僕が僕らしく、よりよく生きるために何を手に入れたいだろうか。何を思い、何を愛したいだろうか。その問いはつまり自らの生を取り戻すということだ。自らを誰かに委ねてはいけない。自分を最も知り、最も愛しているのは自分でなければならない。それが生きることに他ならない。

京都に戻ってきたのに、まだどこにも帰り着いていないという感覚がある。やりたいことをやらなければいけない。必要なことを行わなければいけない。その決意が今も持続している。
僕にとって必要なものを見定め、それを求めて行動できるようになったとき、また無の会を手伝いに行きたいと僕は勝手に思っている。

青羽悠

小説家。京都大学大学院所属。著書に『星に願いを、そして手を。』(集英社)、『凪に溺れる』(PHP研究所)、『青く滲んだ月の行方』(講談社)など。

Tags:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です