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無来人(1) : 青羽くん 後編(京大生・小説家)
創業以来、無の会には年間を通して、農業関係者に限らず、全国から色々な仕事・活動をしている人が訪れます。現役の高校生から80代のおばあさんまで、皆それぞれの目的を持って会津の地を訪れます。そんな方々が無の会で体感した「リアル」な感覚・想いを語ってもらうのが「無来人」シリーズ。
前編に引き続き、学生小説家の青羽くんによる後編になります。
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無の会で最も印象的だったのは、いわゆる「社会」という概念が希薄だったことだ。
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もちろん、やっていることは有機栽培であり、持続可能で社会的な営みである。近頃の世界の潮流の中でも喧伝できるものだ。でも無の会にあった「社会」の概念は、僕の思っていた「社会」とは大きく違った。それはあくまで自分たちの生活の延長線上にある。
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朝に取れた野菜が昼の食卓に並ぶ。収穫した籾が二日後には白米となって茶碗によそわれる。無の会の理念は遥か遠くを見据えているが、その理念はどこまでも自分たちの生活に根差している。自分たちの生活をする中で、よく生きるために必要だと感じたことをする。そんな姿勢が無の会のあり方に結実している。

自分のことをちゃんと思う。その感覚をもって手に届く人たちのことを思う。そうやってそれぞれが両手を伸ばして円を描く。円が重なり合って、広い世界が作られていく。もしそんな世界があるとすれば、それは最もしなやかで、タフで、循環し続ける社会なんじゃないだろうか。

僕が僕らしく、よりよく生きるために何を手に入れたいだろうか。何を思い、何を愛したいだろうか。その問いはつまり自らの生を取り戻すということだ。自らを誰かに委ねてはいけない。自分を最も知り、最も愛しているのは自分でなければならない。それが生きることに他ならない。

青羽悠
小説家。京都大学大学院所属。著書に『星に願いを、そして手を。』(集英社)、『凪に溺れる』(PHP研究所)、『青く滲んだ月の行方』(講談社)など。
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